校歌紹介

 

 

作詞をなさった本間先生に直接伺いました!
Q 「丘のいろ」とは、何を描いたものですか?

A 若草や若葉の緑です。校舎裏のグランドから続く丘です。


Q 「きらめく水面」は何を描いたものですか?

A 本校の近くを流れるアシリベツ川です。


Q 「ブルー」という珍しい歌詞を用いたのはなぜですか?

A 大きく広く深い大空を見上げて未来の夢を描く生徒であってほしい、そしてその夢を描くキャンバスとなる
  空の色は、青がふさわしいということを強調するため英語を用いました。


Q 「神の恵みのふる里」とはどのような意味ですか?

A 早い時代に真栄に入植した人々は、その地では神の恵みが与えられると信じていたという話を古老(昔のこ
  とを知っている老人)に聞いたことがあります。神の恵み「神恵」が転じて真栄になったのではないでしょ
  うか(正確なことはわかりませんが)。


Q 「青春の賦」の「賦」という漢字はどのような意味で当てたのですか?

A 「賦」には詩歌という意味があり、「赤壁の賦」や「早春賦」などに用いられており、「歌」よりも格調の
   高い字だと考えたからです。


Q 「碧水」という言葉を使おうとしたきっかけはなんですか? また、何を描いたものですか?

A きっかけはアシリベツ川上流の滝を見たことでした。落下しては流れる水の風景と真栄高校の四囲の清澄な
  環境とを重ね合わせて「碧水」としました。


Q 校歌の全体像はどのようなものだったのですか?

A 美しく静謐(穏やかな様子)な環境のなかで、未来への夢を描き見つめながら学ぶ生徒と、静かな情熱を持
  ち続ける教師とがつくりあげる明るくさわやかな学校です。


Q 今、生徒にどんな気持ちで歌って欲しいですか?

A 歌詞の中にもあるように三年間の学習活動であるとの思いを持ち、未来の自分の姿を描きながら、現在(い
  ま)の時をいとおしむような気持ちで歌ってほしいと思います。


Q 漢字と平仮名の使い分けに大きな意味はありますか?

A 特に意図的なものはありません。漢字の方がよいというものは漢字で。平仮名の方がよいと思うものは平仮
  名で書きました。


Q もし、歌詞で手直ししたエピソードがあればお教えください。

A 手直しはほとんどありませんでしたが、一番二番共に終わりの方のどこかに「あゝ真栄高校」とか「我が母
  校」とかいう言葉を入れようとしたりしたことがありました。一年以上かけてつくりあげた校歌でしたか 
  ら。


校歌にまつわるエピソード紹介     本校「紀要」 2 号(昭和 60 年 11 月 26 日発行)より要約

作詞にまつわるエピソード(本間英吉先生)

 校歌は真栄高校の生活のなかで作っていこう。私はそう考えていた。その方が学校に合ったものをつくることができる、と考えたからである。

 開校したばかりの 58 年度当初は校歌のことが常に念頭にありながらなかなか作詞に取りかかることができなかった。夏季休業に入ってから手をつけはじめ、生徒の心情や感覚をあれこれ推しはかってみたが、40 歳の年代差は容易に埋められるものではなかった。

 そこで、生徒と同じ年代のときに過ごしたところに行ってみることにした。一日、私はおにぎりと水筒をもって車で出かけ、旧制中学時代に 4 年間通学した列車の線路沿いに勇払原野を走り、そこを卒業し、そこで 18 歳のとき代用教員をした小学校を訪れたそして原野にたたずみ、校庭の樹間に座して追憶にふけり、メモをとった。

 作詞は一進一退したり、手つかずになったこともあった。そして各種行事があるたび自責の念にとらわれた。また或るときは、生徒が他校生との会話のなかで校歌がないことを言われて引け目を覚えた、とのことを聞いて心中密かに詫びたりしたこともあった。

 59 年度の 3 学期はじめ、私は冬期休業中に仕上げた歌詞を先生がたに提示した。先生がたからいただいた意見をもとにして二、三の字句を修正した後、作詞は完了した。

 歌詞は一番で、再び持つことのできない少年の「とき」を、光り輝く緑と水に託してうたい、二番で、その「とき」のひたむきな生をうたいあげ、校訓の力と心を織り込んだものである。


作曲にまつわるエピソード(滝波美代子先生) 

 まず、詩を何度も読み、静かな中にも内に秘めた力強さを感じ取った。そして若者の限りない希望に満ちた未来を表現しようと考え、おおまかなアウトラインを作ってみた。(1)詩の感情を失わないように、(2)無理のない音程を使う、(3)アクセントを間違えない様に、作曲をする時の鉄則ともいえるこの3つを骨子として、個性豊かな曲をめざして作業を開始した。

 最初の作品はユニークであり、なおかつ新鮮な曲を望んだ為、現代風になりすぎたきらいがあった。一時的な時代性よりも永久に歌われる校歌としての重みと、いつの時代にも親しまれる曲でなければならない事を再確認した。

 数日後、新たな旋律がほぼ完成したので、伴奏型を考えながら手直しを始めた。

 旋律は各々違った感情や速度あるいは形態を持っているので、、それが生きてくるような伴奏に考えなければならない。また前奏も後から歌われる歌が予想されるような誘導的なものでなければならない。そして全体の構成の中で一番重要な部分であると思われる曲の中心部に、変化をもたせて盛り上がりの効果もねらった。

 同時に手がけていた合唱曲はそれぞれのパートの特性を活かす様工夫し、力強さを要求される所には男子を主旋律におき、それに良く響くソプラノのパートを重ね、アルトには中間部をしっかりと支えさせ、一気にクライマックスにもっていく型をとった。

 そして、合唱部とともに練習を積み重ねた。落成式当日、記念式典において、皆が心を一つにして校歌披露の大任を果たすことが出来たのは記憶に新しい。

 終りに、今後は我校の象徴として、この曲が全校生徒に愛され、永遠に歌い継がれていく事を切望する。


作詞者・作曲者の想い 本校生徒会誌「碧水」第 22 号(平成 19 年 3 月 1 日発行)「特集 校歌の秘密に迫る」より抜粋

作詞者 本間先生からのメッセージ

真栄高校は私の教職生活の仕上げ頃の時期に勤めた学校であり、蓄積された経験に基づく全力を投入した職場でした。そして全道から選ばれて来た実践力のある素晴らしい先生方に囲まれて至福の二年間をすごしました。生徒も厳しい指導に耐えて生き生きとした眼で廊下を歩いておりました。

 真栄高校を去ってから二十二年になりますが今も私の喜びの源泉です。バスや電車のなかで真栄高校の制服姿を見るとつい声をかけたくなったりしますが思いとどまっております。真栄高校への思いは尽きることがありません。


作曲者 滝波先生からのメッセージ

 二十数年前校舎が完成した日のことが、今でも思い出されます。それまで未完成の校舎で授業を受けていた生徒が繋がった廊下の渡り初めをしたときの嬉々とした顔が素晴らしかったからです。自分たちの学校という意識が強く、何事にも一生懸命でした.

 そういう生徒を見ながら共に学校生活を送るなかで、校歌を作曲する機会に恵まれました。学校長から『堅苦しくない、新しいイメージの曲を』という要望を受け、無理のない音程、音域、詩の感情を失わない等々、条件をそろえての取り組みを始めました。一期二期の生徒が猛練習を重ねて校舎落成記念式典で披露しましたが、このときの生徒の自信にあふれた姿、そして態度の素晴らしさは今でも忘れません。当時は合唱コンクールも実施されていましたので、全校生徒が放課後になると、きれいなハーモニーを響かせていました。

 忍耐強く、何事にも積極的に取り組んでいた先輩のように、在校生の皆様も頑張っていることと思います。未来に向かって無限の可能性を持っている皆様が校訓の『優れた力』『優しい心』を織り込んだ校歌を、これからも自信を持って高らかに歌い、先輩から後輩へと歌い継がれていくことを願っています。